Ghost Writing #4
こんばんは。
ご無沙汰しています。
NGSにはクリエイティブスペースという、よく分からない巨大な砂場がありますが。
自分が作った砂の城が、1000GJを超えたという話を風の便りで耳にしました。
1000という数字自体は凄くもなんともないですが、一つの大台を超えられたことは素直に嬉しく思います。
プレイしてくれた方々、ありがとうございます。
創作を通じて得られる喜びには、直接的なものと間接的なものの2種類があると思っています。
直接的なものは、「自己表現の喜び」とでも言いましょうか。
よく創作とは自己の表現である、なんて言われますから。
ただ、自己表現という言葉は明確な定義があるわけではなく、色んな人が好きなニュアンスで使っていますから、ここでは「己の内面にあるものを外に発露すること」と定義します。
心の内に見出した感情や思想、記憶、アイデア、あるいはもっと微かなイメージのようなものを、何かしらの形で、心身の外に出すことです。
発露したものを「他者に感じてもらうこと」は自己表現の範疇ではありません。あくまで、発露という行為自体への欲求を人は持ち、それは喜びをもたらすのです。
端的な例は、砂やブロックで夢中になって何かを作っている子供でしょうか。
彼らは、何も褒められたくて遊んでいるのではなく(例外はいるかもしれませんけど)、その行為自体が楽しいから遊んでいるでしょう?
それに対して間接的なものは、誰かに作品を鑑賞してもらうことで社会的報酬を得る、要するに「承認欲求が満たされる喜び」です。
誰かが作品を鑑賞してくれる。理解してくれる。共感してくれる。感動してくれる。褒めてくれる。
それらが途方もない快感をもたらすことは、想像に難くありません。
創作に限らず、多くの大業が承認欲求を原動力に為されてきたことでしょう。
これら2種類の喜びへの欲求が、俗に創作意欲と呼ばれるものの具体的な姿ではないでしょうか。
どちらをより強く求めるかは人それぞれでしょうし、別にどちらかが高等とか低俗だと言うつもりはありません。
自己表現を貫き、表現したいものをまっすぐ表現すれば、一般的には理解が難しい尖った作品になり。
承認欲求を満たすために(あるいは売れるために)世間的に受け入れられる作品を目指せば、そこには時に作者が本当に表現したいものとの乖離が生じる。
そういうトレードオフの関係の間で、クリエイターと呼ばれる人達の心は揺れ動いているのでしょうね。
自分の砂の城は、4つのコンセプトが混ざり合った結果、あのような姿になりました。
A. 一期一会の訪問者に、何かしら強い印象を残すこと。
B. あわよくば、もう一度訪れようと思わせること。
C. 暗闇を表現すること。
D. 「ある物事」に対する、自分の考え方を表現すること。
2種類の喜びの話で言えば、AとBは承認欲求の側から来ています。
クリエイティブスペースは、作ろうと思えば手の込んだ造形物を作れるポテンシャルは持っていますが、それを「観る」以上の遊びに押し上げる力は貧弱と言う他ありません。
加えて、他者を新しい作品に引き会わせる導線も弱い。
これらは、コンテンツとしての構造的な問題点だと思っています。結構致命的な。
誰かがたまたま訪れてくれたとしても、その一度きりで終わってしまうわけです。
自分も色々と他人の砂場を見て回りますが、その瞬間は「へーすごい」と思うことはあっても、強く印象に残り、また行きたいと思わせるような作品はほぼありません。
であれば、その一度きりの訪問でできるだけ強い印象を残すことと、あわよくばもう一度訪れてもらえるような仕掛けを用意してみたらどうだろうと考え、探索や謎解きといったゲーム性、ホラー演出、マルチエンディング(の仄めかし)等の要素が取り入れられました。
この狙いが思惑通り機能したのかしなかったのか、見当は全くつかないですが。
一方でCとDは、自己表現に端を発しています。
自己表現は自己完結する行為ですから、ここで格好つけて解説するつもりはありませんが、端的に言うなら。
「暗闇って怖いけど、同時にどこか人を惹きつける、美しさにも似た何かがある」と自分は思っています。
Cは、それを自分なりに表現したかったということです。
Dは、いわゆる「裏設定」に当たるもので、訪問者が直接感じ取れるような演出はしていません。
なので理解できた方はいないと思いますが、それはそれで構いません。
自己表現は自己満足なのですから。
一応隠しエンドには、Dをある程度感じ取れるようなヒントを用意しています。
どうしても気になるという物好きな方がいれば、GPをもぎもぎしつつ試行錯誤してみて下さい。
もっとも、そうそう到達できないからこそ、相応のものを仕込んだんですけどね。
最後は余談になりますが。
生成AIなるものが世に現れて少し経ちます。
創作の界隈では、ネガティブな意見が目立っているイメージがあります。
著作権の問題や、自身の仕事を脅かすかもしれないことを考えれば、無理もないでしょう。
どうしても今後、特に商業作品において、AI製に置き換え可能な部分から置き換えられていくことは避けられないと思います。
しかし同時に、自己表現の欲求が人間のDNAに刻まれているものなら、この世から人間の創作活動が完全に無くなることはないだろう、とも思います。
どういう形に落ち着くかは分かりませんが、何かしらの形で人は創造性を発揮し続けるのではないかなと。
自分は砂場でクリエイターの真似事をしただけで、少なくともクリエイターとしてご飯を食べている身ではありませんから、偉そうなこと言うなと言われたら黙る他ありませんが。
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2024.11.03 11:36